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ストップ・ザ「材割り」台場クヌギを守ろう!
 
ストップ・ザ「材割り」台場クヌギを守ろう!
ー S a v e t h e O a k s ー
2005年 1月末
     
ストップ・ザ「材割り」台場クヌギを守ろう!-イメージ1
 
昆虫愛好家にとって、冬は少なからず時間にゆとりがでてくる事が多いのではないだろうか、人によってはひまで余暇を持てあますと言う事も耳にする。勿論、他に趣味を持っていてそれに執心して忙しい人もいるだろうし、ブリードに関しては、温室管理をやっていて冬でも忙しいという人も多々いるだろう。しかし、採集という行為からすれば、離島などを除く殆どの国内において、クワガタ、ましてオオクワガタと言えば、冬は本来オフシーズンである。どんな猟(漁)にも「禁猟(漁)」は自然とのバランスを維持する為のルールであり、守らなければならないものだ。もちろん多くの昆虫採集にとって法的或いは行政的な禁猟規制が存在する場合は少なく、採集者のモラルの問題になってしまうが、本当に虫が好きな愛好家であれば自ずとそれが判るはずである。だが、残念な事に、心無いと言わざるを得ない行為「材割り」を続けている人もまだまだ多いのが現実だ。冬の時期、極寒の中、虫たちは夏に向けて育んでいたり、或いは眠っていたり、また厳しい季節を懸命に乗り切ろうと頑張っている。そんな彼らを、多くの場合そのサンクチュアリーである大切な朽ち木をナタやオノで破壊し、時にはチェーンソーまで使って切断し、「タコ採れ」などと称して、一網打尽にするだけでなく、大切な棲息・育成場所までも奪ってしまう・・・それが「材割り」採集の実体である。中には「私は必要以上捕らない」とか「半分は材を削らずに残す」などと言った意見も聞かれるが、他の採集者が残りを捕らないという保証はなく、それら後続の採集者に対し、「それ以上捕るな」とは言える立場でもないのだ。
2005年1月末、私が訪れた能勢でも非常に残念な光景をまざまざと見せつけられた。
 
冬の真只中、冬期のオオクワ採集をしない私が遥々能勢まで向かった理由は、夏の樹液採集の下調べをするためなのだが、単純に冬の能勢の姿を見たいと言う思いと、虫たちが越冬している息吹や、久しく見ていない台場クヌギを見たい、そのぬくもりを肌で感じたいと言う強い思いがとても抑えきれなかったからだ。
夏、あれほど猛々しく、生命感と躍動感に満ち溢れていた能勢の山々は、まるで違った場所かとみまごうほどに、閑静で落ち着いた佇まいを見せている。葉が殆ど枯れ落ちた雑木林、そして車で走っていてもそれらの中に、時折台場クヌギの姿が確認できる、「あんなところにも…」夏期であれば木々に覆われとても発見出来そうもない、これが冬に採集地を訪れるの魅力なのだ。ひとしきり車で見てまわり、途中落ち合った地元神戸の谷口さんの情報などから、この夏期待出来そうなエリアがあると言う事でそこへ向かった。到着した場所はまだ採集実績の無い所らしい、だが、良い台場クヌギが数多く有ると言う事だ。この日は天気も良く、山歩きには絶好のコンディション、身支度を整え、早速山に入った。谷川沿いの細い山道登って行く、谷口さんが昨夏訪れた時は強烈な薮コキを余儀無くされ、なんともならず途中で引き返した道らしいが、この季節、行く手を遮るものは比較的少ない。順調に登って行くと直に大きな台場クヌギが現れた。それにしても能勢の豊さは素晴らしい、何処の山に入っても必ずと言って良いほどこんな樹が表れるのだ。「おお、台場だ・・・太いなぁ。」久々に目にした台場に思わず笑みがこぼれた。そこから脇の斜面を見上げると多くの台場が点在している、私たちは台場に向かって斜面を登っていった。数ある台場を各自思い思いに調べていると、「これは!」と思える木が目に入った。早速近寄ってみると、素晴らしい!、黒々とした樹液痕、その周りにポッカリと空いたウロ、どう見てもこの一帯の特等席である。採集を重ねて多くの台場クヌギを見てきたが、オオクワガタの居場所というものがようやく私にも判ってきた。彼らが居るのは常に特等席なのだ、大型になればなる程さらに良い場所に居る、自然の摂理からいえば当然の事なのだが、その特等席を見極める知識が少しづつ判ってきた。「60mm、一匹確保。」などと言いながら、さらに奥へと進んで行った。しばらく行くとちょっとした道が表れ、それにそって進んで行く、次々と立派な台場が表れてくる、だがそんな中に・・・無惨にも南側を削られてしまっている木が・・・
 
ここ能勢地方の山々も多くの場合民有地が多い、当然その中の木々も私的財産なのである。民有地に許可無く立ち入ること事態も或いは犯罪に値する行為かも知れないが、それだけでトラブルになることは少ないだろう、それでも場所によっては手土産持参で挨拶をし、決して木を削るような事はしないと断って何とか入山させてもらえる山もあると聞く。まして木を削るという行為は他人の財産を損壊するという行為に他ならない、これは列記とした犯罪行為である。それが原因で双方に軋轢が生じ、近づく事すら出来なくなってしまった場所も少なくないらしい、虫的見地から見ても人的見地から見ても好ましいとは言い難い「材割り」という行為を今一度考え直して欲しいものだ。 ストップ・ザ「材割り」台場クヌギを守ろう!-イメージ2
 
ひとしきりチェックしながら道沿いに奥へと進む、途中見事にニクウスバタケに覆われた素晴らしい台場が、幸い手付かずに残っていた、ここから来夏にもオオクワガタが巣立っていくかも知れないと思うと、なんとも微笑ましい気持ちになる。やがて枯れたブッシュが行く手を遮り、困難な行程になってきた、全身落ち葉だらけになりながらも、何とかそれらをくぐり抜けながら進むと植林の杉林の斜面が表れた。そこを上へと登って行く、結構起伏が激しい、若干(結構)厚着をしていた私はすっかり汗だくになってしまい、そこで薄着になりながら小休止した、冬の冷たい空気が汗をかいた身体に心地よい。頂上まではもう少し、気合いを入れて上へと進む、杉林を抜けると今度はイバラの薮が立ちはだかった、慎重にそれらをかわしながらやや急な斜面を登り終えると、ついにその山の頂きだった。結構広さが有り雑木林になっている、そして反対側への下り口付近に太い台場が数本立っていた。その中の斜面に最も近い一本が特に幹も太く、樹液痕も広範囲に見られ、大きな樹洞とウロも空いている、どうやらこの木がこのあたりの特等席と思われる、「2匹目確保だね。」気分は本当に捕まえたようでじつに楽しい。その後別々に分かれて辺り一帯を広範囲に捜索したが、そこそこの木は有るものの、それ以上良い木は発見出来なかった。これだけのエリアなので他にももっと良い木ががあるはずだと思い、懸命に探していたのだが見つける事は出来なかった。気が付くと山に入ってすでに2時間以上が経過していた、軽く下見のつもりだったので飲み物さえ携行していなかったので、私も谷口さんものどがカラカラで結構疲れていたと思うが、久々に訪れた採集地に楽しさの方が先立ってさほど疲れは感じなかった。なおも捜索しながら反対斜面へ下山して行くと、またしても削られた木が・・・今度は結構新しい感じでこの冬になってから削られた感じである、この場所は有名ブランド極太個体の産地らしいので採集圧もかなり高いようだ。だが、その個体を将来に渡って楽しむ為にも「材割り」行為はしてはいけないのである、自ずと自ずの首を締めているという事を是非認識して欲しい。
     
山を下り田畑を通り抜け、林道へ、そこから車の所までは結構距離があった、見上げると今登って降りて来た山が聳えている、名もない里山だろうが結構大きく見えて、やや大袈裟だがその山を征して来たという達成感を私は味わっていた。車に乗り込みいったん山を離れ、コンビニで食料や飲料を購入しながら小休止、何処に行こうか話し合ったところ、来る途中に通りがかった阿古谷付近で、夏には雑木林に覆われてわからなかった場所に、良さそうな台場が数本確認出来たのでそれを見に行く事にした。能勢といえばやはり阿古谷、なんといっても人気No.1の産地という事は周知の事実だろう。極太・美形個体が多数輩出されていて、人里はなれた山奥と思われがちかも知れないが、実際には川西市に程近く、車で少し走れば大型ショッピングセンターも有り、交通量も結構多い、つまり都市開発がすぐ近隣まで迫って来ているのだ。そのような局面から見ても、現在のオオクワガタ生息地はとても貴重なものである事は理解に優しい、棲息環境の減少に追い討ちをかけるような行為は謹んでもらいたいものだ。
 
私程なくして到着した場所は田畑に程近く、隣接した斜面に太い台場が十数m間隔で並んでいるのが遠めにも良く見える。車はやや離れたところにしか駐車出来ない為、そこから若干歩く事となった。この付近は盛期には良く通りがかる場所なのだが、ここにこれほど立派な台場がある事には全く気がつかなかった。近づいてみるとさらにその大きさに驚いた、順番に丹念にチェックしていったが、どれも立派なのだがこれはといった決定的な木、つまり特等席はそこには発見出来なかった。若干通りに近過ぎなのかも知れない、車に戻り今度はもっと奥の方へ、しかし夏には訪れた事の無い場所を探して進んでいった、舗装道路から離れ林道を登って行く、次第に道は険しくなり4駆でなければ進めないような状況に、標高もかなり高くなった感じがする、時折街が遥か眼下に見え隠れしている、と、突然辺りが開けたかと思うと一面の熊笹斜面の中に、見事な台場が林立している素晴らしい光景が現れた。「おー凄い、ここはいいな。」早速車を止めて斜面を登りだしたが、あまりに画になる光景に私はしばらくシャッターを切るのに忙しかった。入念にチェックしながら登って行ったところ、斜面の最上部付近に並んでいる台場の1本が、かなり良い雰囲気に見える、近づいてみた見た私は「おー、これはいい・・・」と思わず叫んでしまった、黒々とした樹液痕と複雑に入り組んだ奥の深そうな無数のウロ、まさに特等席である。しかもそこからの眺望が素晴らしい、霞がかった山々が延々と連なり、その間に広がる街並・・・まさに絶景であった。この景色を独り占めにして優々と暮らしている住人はいったいどんなヤツだろうか、この夏、確かめに来るのがとても楽しみだ。
   
ストップ・ザ「材割り」台場クヌギを守ろう!-イメージ3 ひとしきり写真に納めた後、斜面を下って車の所まで戻った。リュックを降ろしながら車に乗り込もうかとしていた時、谷口さんがさらに下方の斜面にも台場がある事に気がついた。せっかくだから行ってみようともう一度身支度して斜面を下って行った、良い雰囲気の台場が点在している、ところが直ぐに見たくない光景が目に飛び込んで来た、辺り一面の木片と、その中に鎮座していたのは根元近くまで削られてしまった、無惨な姿の台場であった。
 
状態からしてまだ最近手がつけられたばかりのようだ、私は憤りを感じずにはいられなかった。削られた無惨な姿の台場などこれまで決して写真に納めなかったのだが、この時ばかりはこの状況を理解できる人たちに、少しでも訴えてなんとか歯止めを掛けたいという思いで私はシャッターを押し続けた。さらに斜面の下の方には、なんとチェーンソーを使って台場の樹洞付近が切り取られていた、しかもそれはまだ大部分が生木なのである、幼虫が穿孔しているはずもない、「こんな生木を・・・」さらなる強い憤りをファインダーにぶつけながら私はシャッターを切っていた。谷口さんも「本当にひどいなぁ・・・」とやりきれない表情を浮かべていた、このような光景を山の所有者が目にすれば、入山禁止にされるのも無理からぬ事だろう、他人の所有地に入らせてもらっているという認識があまりにも薄いのではないだろうか。場合によっては土地所有者から許可を得たり、或いは反って歓迎されるケースもあり得ないとは言い切れないが、たとえそういった事態に遭遇したとしても、オオクワガタを取り巻く環境を憂慮し、本当に楽しみたい、真の愛好家を自負するのであれば、対する欲望も「削りたい、捕りたい」から「守りたい、残したい」と気持ちになって呵るべきである。
 
「確かにワイルドオオクワガタを入手する事は極めて困難であり、市場に於ける流通量はごく僅かで、非常に高価で取引が行われている。このため、その販売を生業としている人からすれば、高い利潤を生む商品にしか見えないかもしれない。しかし、欲しいものを手にする為には手段を選ばないようでは、将来的には自分達の利害をも狭少していくものであり、あまりにも無節操で大人気ない行為ではないだろうか。綺麗事と思われるかも知れないが、オオクワガタを守ってやれるのは、オオクワガタ愛好家だけなのである。くどいようだがあくまでも大人の遊びの一環として節度ある行いを心掛けて頂きたい。
近辺を捜索していた谷口さんが、しばらくしてさらに期待できる特等席を発見していたようだが、私はこの無惨な木からしばらく離れられなかった。
ストップ・ザ「材割り」台場クヌギを守ろう!-イメージ4
 
その後、車で下る途中でさらに良さそうな場所を見つけだし、そこを丹念に捜索した結果、かなり有力な期待できそうな台場を数カ所発見できた。この夏の彼らの顔を見に来るのが今からとても楽しみである。大変成果の多い一日に、私たちは大いに満足しながら山を下った。しかし一方で、これらの木々が今後も残って、彼らの住まいが無事でいられるかどうかは非常に心配であった。
 
オオクワガタ採集・飼育創成期、多くの諸先輩方の多大な努力により、オオクワガタの生息地や生態が解明され、育成方法が確立され、誰もが気軽にオオクワガタ飼育を楽しめるようになった。それらの功績は非常に大きく、称賛に値するものであり、そのためには当時「材割り」も必要な行為だったかも知れない。オオクワ採集=「材割り」という時代も過去には存在していた、或いは今日のオオクワ文化は過去の「材割り」の上に成り立っているものかも知れない。しかし現在「材割り」は歴史上の遺物である。これまで永年「材割り」を行ってきたその道のエキスパートの人でさえ、心ある人はナタを置くようになってきたのだ、でなければオオクワ文化に明日はないからだ。オオクワガタ愛好家自ら末永く楽しむため、さらに将来の子供達にオオクワ採集・飼育という文化を残していくため、そして天然オオクワガタが過去の物となってしまわないために、現代、今後将来に向けて、「材割り」は絶対にやってはいけない行為であると私は断言する。
幸いな事に、昨今そういった意見が多く聞かれるようになってきたのも事実である。オオクワガタをこよなく好きな気持ちは皆同じなのだから、行く末を案じ、台場クヌギや樹木との接し方を再認識する時が、今、来たのではないだろうか。
 
 完